小浜島のお盆

こんにちは。ご先祖様に頂戴した命をどうにか意味のあることに
したいヒロサ~です。

突然ですが皆さん小浜島のお盆見たことありますか?
いやいやいや、なかなか無いですよね。

今回は、文字で伝わるかわかりませんが小浜島のお盆について書きたいと思います。

小浜島のお盆は日本の重要無形民俗文化財に指定されていて
ご先祖様の供養と現世の無病息災をお祈りする行事なのですが、

その方法がすごい。

なんと集団で夜通し仏壇がある家々を巡り歌い踊り歩くのです。
しかも1日じゃ終わりません。

そんな、重要無形民俗文化財に僕ヒロサ~が数年前にちょっとだけ参加しましたので
非常におこがましいのですが記したいと思います。

このブログを見たら、日本にもこんな行事が残っているのかと
驚愕するはずです。

それではどうぞ~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

月に照らされ自らの影が伸びている。

夜の影が今日は満月なんだと教えてくれた。
なんだか胸がゾワゾワする。



「楽しいからおいでよ」


数年前から島で生まれ育った友人に、小浜島のお盆に誘われてはいたが、
知合いの墓参りに一緒に参加するような感覚に陥いっていた。


墓参りには必ず「作法」が存在する。マナーが存在するものだ。
もちろん小浜島のお盆の作法やマナーを僕は知らない。

無作法な人が招く悲劇を想像すると、伝統を大切にした小浜島の方々の
気持ちを土足で踏みにじるような気がしてしまって小浜島に住むようになってから
10数年。

見ることは無かった。



小浜島のお盆。


しかし、友人の「楽しいから」というワードに後押しされたのと
島出身では無い知り合いが多数参加しているという事実から
「それでは遠くから見てみよう」
という気持ちが「行けない」という気持ちを上回ったので
自分なりにシャワーで体を清めてからバイクで「楽しい所」が
行われている僕の住む細崎集落から本集落へと向かった。


3キロほどの道のりを月が照らした道を進んで行く。


集落の入り口まであと少し、という所でバイクを一時停止させた。

妖しいどこか艶やかな月の光が赤瓦の屋根を照らす。
「本当に行ってもいいのだろうか」

居心地の悪さまで月が照らしているようだ。

小浜島の伝統の前で、僕はちっぽけだった。

「・・・・このままUターンして帰ろうかな・・・・」

しかし、友人には必ず行くと伝えてしまっているし
何よりこんなチャンスは無いと勇気を振り絞り集落の中に入った。

・・・・静かだ・・・・

何も音が聞こえなく、エンジンの音だけが耳に入る。


その音は胸のざわめきの中では異質に響き、
存在を際立たせている感じがしたのでバイクから降りて
歩くことにした。

最初は足が道路を叩く音だけしか耳に入らなかったが
それはすぐに聞こえてきた。

ドン!ドン!ピーピー!!


打楽器と竹笛とそして三線の音。

元々、お祭りや、楽器の音が好きな僕は、その音色に
気分を明るく染められていく。


音に誘われ、音源が奏でられる方に向かうと
民家の大きな庭で想定以上の人々が踊り、歌い、叩き、
そして奏でていた。

・・・・・これだな・・・・・

方言で「ソーラ」と言われる小浜島のお盆は
旧暦の7月13日~16日の4日間で行われる。

端的に言うと、13日で先祖を迎え14日でもてなし15日であの世に送りだし
16日で健康願いを行う。

今日は真ん中の14日のおもてなしの日だ。


小浜島の本集落は細崎と違い、実は一定の道路から明確な区分がある。
すなわち、集落内で北村と南村に分けているのだ。
そして、それぞれの村でお盆だけでなく儀式や祭事を別々に行う。

当然、対抗意識が生まれる。

もう亡くなってしまった、仲良くさせていただいた南村のご年配の方曰く
その対抗意識の強さが故に北村にある学校に通うのすらためらっていたようだ。

お盆の行事も北村と南村で別々の集団がそれぞれの仏壇のある家を巡り
芸能を吟じ、祖霊をもてなす。

集団は「ニムチャーニンズ」と呼ばれ念仏歌謡を演じる集団という意味のようだ。

小浜のお盆は、各々の祖先の霊を慰める家祭祀という役割だけではばく
村全体の高齢者の健康と長寿をお祈りし祝福する村祭祀
という二つの性格を持つものだと言う。

八重山の旧盆と言えば、アンガマーだろう。
しかし、石垣島では全戸は周らずに、アンガマーを呼んだ家にだけ
アンガマーは現れるようだ。


一方、小浜島は仏壇のある家全てにニムチャーニンズが巡ってきてくれる。

ご先祖様の喜びが見える気がする。

集団は家に辿り着いたらまず笛を奏でる人が一番前に立ち
大勢でわっかをつくりぐるぐる回りながら歌い、そして踊る。

いわゆる、皆様がイメージするようなお盆の踊念仏(盆踊り)のような感じだ。
しかし、小浜島の盆踊りは伝統的な要素が強く念仏感がとても強い感じがする。



「あ、ヒロサ~じゃん!次の家では一緒にやろうよ!」



・・・・とうとう、見つかってしまった。


よく見ると、踊りに参加してなく、家の外から覗いていたのは僕を含めて
3人だけしかいなかった。

3人はその中で少し異質な存在だったのかもしれない。



「恥ずかしいからいいよ」



思わず口に出してしまった。


しまった。

友人が「俺たちは恥ずかしいことをやっているということか?」という嫌な気持ちになって
しまったら・・・・・・

もう少し言葉を選ぶべきだった。


恐る恐る友人の顔を覗き込む。

「そっか!」

いつもの笑顔だ。笑顔はいつも安堵をもたらす。

友人には一緒にお盆に参加している友人が
沢山いるにも関わらず僕と一緒に次の家に向かってくれた。

一種の「気まずさ」を覆い隠すように様々な疑問を
友人にぶつけた。


知らなかったことを沢山教えてくれた。

念仏踊りの歌詞は今は20番(!?)ほどしかやっていないが
実は50番まであるのだということ。



北村と南村は別々の集団で動いているがたまたま集団が近くになってしまったら
皆で対抗し、全力で大きな声で歌い太鼓を叩き互いの音にのまれないようにすること。



その中でも特に驚いたのは実は、訪れる家々での演目が特に決まっているわけでは
ないということだ。

つまり、その家で即興で演奏や踊りを合わせるということだ。
身体に伝統文化に基づく芸能が染みついてないととてもできない。

やはり小浜島は芸能の島なのだと感じざるを得なかった。



はるか昔から延々と繋いできた歌と踊りに沿い、仲間と共に島で生きている。

文化とは何か。
伝統とは何か。
という問いに一縷の答えの光を見る。

僕は共同体の文化の中で生まれ育ったわけではないので
(もちろん日本という大きな文化の中で育ったのだが)
島人のこの感覚はとても羨ましくもある。

伝統、文化は、現代に生きる人たち、つまり横軸との繋がりをもたらせ、一方で
遠い過去の人々、そして遠い未来の人々という縦軸とも強固に結びつける役割があるのだと
気が付く。


気が付いたら次の家に到着していた。

家に付くとまずはターバサーと呼ばれるかたが
小浜島の方言で「ご先祖様、子孫を引き連れてご先祖様の焼香をしようと来ました。
私たちが念仏集団です」と口上をする。

次いで笛のリードで、皆で念仏歌謡(ニムチャー)精霊踊り(ソーラブンドゥル)
が始まる。

演奏している人を囲むように反時計回りでぐるぐる皆で回りながら
踊るのだ。

友人をチラっと見ると
「さあ、早く来い」

手で僕を招く。


お盆には正装がある。

格子模様の麻衣だ。それをコーサンと呼ぶ。
コーサンを身に着け、白のタオルを頭に前結びで付けるのが正装になる。

しかし、わが身を見ると
これじゃコーサンじゃなくて降参だ、みたいなくだらないことを
考えるほどのボロのシャツに、水着にも使えるパンツを履いていた。

肩からはカッパを入れるボロボロの袋を担いでいる。

自意識が僕の行く手を邪魔をする。

大事なご先祖様の前、伝統文化の中に入り踊ることが出来るのか?
答えはとっくの前に出ている。

しかし、友人は限りなく優しい。
僕の為に踊る隙間を踊りのわっかの中に空けてくれた。



そうだよな・・・・・


友人の気持ちが僕の自意識を溶かしてくれた。


恥ずかしさと好奇心がまじりあった足取りで
踊りの集団に身体を近づける。

正装の中、ボロの出で立ちはご先祖様にも注目されて
しまうことだろう。



しかし・・・・ここまで来たらせっかくなので
自分に出来ることはやろうと決意した。


踊り自体は、同じような動作が続きそこまで複雑なものでは
なかったので自分だけ全く違う動きをしているということからは
避けられた。


ぐるぐると回る。

ぐるぐると回る。

ぐるぐると回る。

大人数で同じ曲で同じ動きで踊ることでもたらす
感覚が僕の口角をあげさせる。

触れてはならないものに触れた喜びか。

ふと、自分の先祖のことを想う。

僕は湧き上がる気持ちを隠すように無表情を装う。



激しい動きでは全く無いのだが湿気と熱気が無風の中、風で流れることなく
僕を包み込む。汗が零れ落ちる。

そして、いつのまにかその踊念仏は終了した。

その後でそこの家の方々が踊り歌い祖霊をもてなす。

繁盛節や鳩間節など演目は多岐に渡る。まさに様々。
これが多分全部即興なのだ。


最後に、立ち上がり演者達が両手を空に突き出し空をかき混ぜて
終了する。

この動きはカチャーシー、八重山ではモーヤと呼ばれるものだが
嬉しい時に人間は空を手を突き出してしまう理由がなんとなくわかる。

一つの家に大体30分ほどかかり、これを15戸ほど周るようだ。

その先は全ての家で僕もニムチャーニンズに加わり踊り続けた。

時計を見る。

午前の3時になっていた。


ちょっと疲れたな。なんてつぶやくと

疲れたか?もうおしまいだからよ。

と友人が声をかけて来てくれる。


翌日はご先祖様があの世にお帰りになる日だ。

夕方6時くらいからまた、踊りそして終了は朝の11時位らしい。

最後の家で踊り終わり、興奮と疲れの中
家に帰ることにした。

バイクが止まっている所まで歩いた。
月明りで異様に明るい。

ふと上を見上げる。

妖しいどこか艶やかな月の光が赤瓦の屋根を照らす。

来た時に見た赤瓦より、数倍も美しく見えた。

その2に続きます。

小浜島のお盆 第2話
重要無形民俗文化財に指定されている小浜島のお盆に参加してきたことを記しています。

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